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国際交流・留学にすぐには役立ちそうにない教養講座②

ー世界に「日本が存在していてよかった」と思ってもらえる日本に…

 

 

No.2 先ず「日本」について

 

 

 さて、前回、この「すぐには役立ちそうもない」コラムのサブタイトルである『世界に「日本が存在していてよかった」と思ってもらえる日本に…』について語ることを予告しました。

 普通の日本人は中国語や英語、その他の外国語を学び、言葉自体、或いは、その言葉を通して更に専門分野を学習し、それらを社会に活かして社会貢献していくわけですが、あくまでも日本人として貢献していくわけです。どんなに憧れても中国人やアメリカ人にはなれませんし、またその必要もないように思います。日本人として中国の「言葉」をはじめ、「歴史、文化等」をよく理解して初めて、日本と中国の架け橋になれるわけです。

 今、私は日本人として、という言葉を使いましたが、正確には「(日本の文化を理解している)日本人」として、ということになります。これは致し方ない面もありますが、多くの場合、この「日本の文化」への学習がおろそかになりがちです。ある意味、自明なことなのですが、情熱をもって中国語や、中国の文化を学習しようとしているわけですから、そちらに先ず、エネルギーが注がれるのは当然です。

 ただ、国際交流の観点から言って、他文化を学習する意義は常に、自文化との比較、距離を考えながら学習することにあります。これは優劣の比較ではありません。基本はあくまでも「自分」です。「国際交流の観点」などと難しく言わなくても、人と人との関係、コミュニケーションであっても、自分があって、初めて他者との交流が始まります。

 そして、日本人だから日本の事は知っているという前提なのですが、この「日本文化」というものが実はとてもやっかいなものです。学校教育においてもきちんと教えられていないように思います。たとえば、身近な例では、「神社とお寺の違い」、或いは、数字の「いち、にい、さん」が「音読み」であること、その意味、歴史等、あまり教えられていません。

 このコラムのサブタイトル『世界に「日本が存在していてよかった」と思ってもらえる日本に…』は作家・司馬遼太郎が自身の著書『この国のかたち』について述べた「『この国のかたち』について」よりお借りしました。以下、全文です。

 

 六部(ろくぶ)が三十余年、山や川、海などを経めぐって、思わぬ異郷にたどりついたとき、浜辺で土地の者が取りかこみ、それぞれに口をきく。いずれより参られしか。・・・・そんな狂言があったと仮定されたい。

「日本。―」

と六部がいっても、一向に通ぜず、ついにはさまざまに手まね身ぶりまで入れて説明し、あげくのはて、砂地に杖で大小の円を描く。さらには三角を描き、雲形を描き、山の如きもの、目の如きもの、心の臓に似たるもの、胃の腑かと思われるものを描くが、ひとびと了解(りょうげ)せず、

「そのような国、いまもありや」

と、きく。すでに日落ち、海山を闇がひたすなかで、六部悲しみのあまり、

「あったればこそ、某(それがし)はそこから来まいた」

しかしながら、あらためて問われてみればかえっておぼつかなく、さらに考えてみれば、日本がなくても十九世紀までの世界史が成立するように思えてきた。

 となりの中国でさえ、成立する。大きな接触といえば十三世紀に元寇というものがあったきりで、それも中国にとってはかすり傷程度であった。もし日本がなければ、中国に扇子だけは存在しない。が、存在の証明が、日本で発明されたとされる扇子一本だけということではかぼそすぎる。

 ともかく、十九世紀までの日本がもしなくても、ヨーロッパ史は成立し、アメリカ合衆国史も成立する。

 ひねくれていえば、日本などなかったほうがよかったと、アメリカも中国も、夜半、ひそかに思ったりすることがあるのではないか。

 しかしながら今後、日本のありようによっては、世界に日本が存在してよかったと思う時代がくるかもしれず、その未来の世のひとたちの参考のために、とりあえず、六部が浜辺に描いたさまざまな形を書きとめておいた。それが、「この国のかたち」とおもってくだされば、ありがたい。

司馬遼太郎「『この国のかたち』について」

(東販<新刊ニュース第41巻第5号>1990年5月1日発行)

 

 司馬遼太郎は小説家としても勿論、大変人気ですが、晩年の10年程は小説を書くことをやめ、様々なエッセイ,紀行文等を精力的に執筆し、この『この国のかたち』は月刊誌「文藝春秋」の巻頭エッセイとして、19863月号から、彼の逝去(1996212日)直前まで執筆され没後の19964月号まで連載されました。

 日本についての文化論的、歴史的、哲学的エッセイです。毎月、1つのテーマ、項目から日本とは何か?ということを根底において、切り込んでいきますが、1つのテーマは文庫で大きな活字で123ページと短く、ある時は海外と比較したりしています(先にもふれましたが日本を考える時に当然なのですが、海外との比較が大変重要なことになってきます)。日本について考える時にお薦めの本です。

 さて、今回も紙面尽きてしまいました。次回、この「この国のかたち」の中から中国との関係について、当然のことながら、かなりの部分がそれについて書かれているのですが、その中からいくつかご紹介しましょう。

 

以上

2021年8月

 

「この国のかたち」文春文庫 全6
(全121章の内、中国が関係している章は80章)

 

 

No.3 孫文のいた頃 を見るlist-type-white